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基礎知識/歴史

ニュージーランド戦争(New Zealand Wars)

ひとことで言うと…

ニュージーランド戦争は、1845年から1872年にかけて北島の各地で起きた、政府軍と一部のイウィ(iwi、部族)との一連の戦いです。主権と土地をめぐる対立が背景にあり、戦後には約100万ヘクタールの土地が没収されました。毎年10月28日は、この戦争を記憶する国の日「テ・プータケ・オ・テ・リリ(Te Pūtake o te Riri)」です。NZの歴史を知りたい人向けです。

目次
  1. 詳細
  2. 日本との違い・注意点

詳細

ニュージーランド戦争とは

Te Ara(NZ政府の歴史・文化サイト)のページによると、ニュージーランド戦争(New Zealand Wars)は、1845年から1872年にかけて、政府軍と一部のイウィ・マオリ(iwi Māori、マオリの部族)との間で起きた一連の戦いです。背景には、主権と土地をめぐる対立がありました。

「ニュージーランド戦争」が最も一般的な呼び名ですが、「土地戦争(land wars)」などの呼び方や、マオリ語の「ガー・パカンガ・オ・アオテアロア(Ngā pakanga o Aotearoa)」という呼び名もあります。

NZ全体の歴史の流れは「NZの歴史」、1840年のワイタンギ条約は「ワイタンギ条約」を読んでください。

主な戦い

NZHistory(文化遺産省のサイト)の年表では、主な戦いを次のように分けています。

時期戦い
1845〜1846年北部戦争(Northern War)
1846〜1847年ウェリントン・ファンガヌイ地方の戦い
1860〜1861年、1863年タラナキ(Taranaki)の戦い
1863〜1864年ワイカト(Waikato)・ベイ・オブ・プレンティ(Bay of Plenty)の戦い
1864〜1868年パイ・マーリレ(Pai Mārire)をめぐる戦い
1868〜1869年ティトコワル(Tītokowaru)の戦い
1868〜1872年テ・クーティ(Te Kooti)の戦い

戦いの流れ

Te Araの説明をもとに、主な流れをまとめます。

  • 北部戦争:1845年3月、コロラーレカ(Kororāreka)で戦いが始まりました。ホーネ・ヘケ・ポーカイ(Hōne Heke Pōkai)とその支持者は、国王の権威への抗議として、コロラーレカの旗竿を4回切り倒しました。
  • タラナキ・ワイカトの戦い:最も長く広い範囲で続いたのは、1860年から1864年にかけての、タラナキ、ワイカト、ベイ・オブ・プレンティでの、イギリスとキンギタンガ(Kīngitanga、マオリ王運動)との戦いです。最初のマオリ王は、1858年に即位したポータタウ・テ・ファレロフェロ(Pōtatau Te Wherowhero)です。
  • ワイカトへの侵攻:1863年7月12日、ダンカン・キャメロン(Duncan Cameron)中将が率いるイギリス軍が、マンガターウィリ川(Mangatāwhiri Stream)を越えました。
  • 後期(1864〜1872年):主に植民地の部隊とその同盟のマオリが、マオリの予言者的な指導者の支持者と戦いました。テ・クーティ・アリキランギ・テ・トゥルキ(Te Kooti Arikirangi Te Tūruki)は、チャタム諸島に流されていた間にリンガトゥ(Ringatū)の信仰を始め、その後1872年まで武力での抵抗を続けました。

犠牲者

NZHistoryの年表は、この戦争で約3,000人が亡くなり、その多くがマオリだったと説明しています。

Te Araは、歴史家ジェームズ・コーワン(James Cowan)の推計を紹介しています。

立場亡くなった人(推計)
イギリス軍・植民地の部隊500人以上
政府側についたマオリ(kūpapa)約250人
政府と戦ったマオリ約2,000人

Te Araは、当時のマオリの人口が約6万人だったことから、若い男性を多く失う大きな損失だったと説明しています。

土地の没収

Te Araによると、1863年のニュージーランド入植法(New Zealand Settlements Act 1863)とその後の法律によって、国王(Crown)はタラナキ、ワイカト、南オークランド、ベイ・オブ・プレンティ、ポバティー・ベイで約100万ヘクタール(のちに返還された土地を含む)を没収しました。

その後

Te Araは、この戦争がマオリの社会に長く記憶されてきたと説明しています。国王による償いが本格的に始まったのは1990年代で、ワイタンギ審判所の調査を経て和解が進められています。くわしくは「ワイタンギ審判所」と「ワイタンギ条約の和解」を読んでください。

記念日:テ・プータケ・オ・テ・リリ(10月28日)

文化遺産省(Manatū Taonga)のページによると、「テ・プータケ・オ・テ・リリ、ヘ・ラー・マウマハラ(Te Pūtake o te Riri, He Rā Maumahara)」は、ニュージーランド戦争を記憶する国の記念日です。

NZHistoryのページによると、経緯は次のとおりです。

年出来事
2014〜2015年2014年のオーラーカウの戦いの記念行事をきっかけに、オトロハンガ・カレッジ(Ōtorohanga College)の生徒が記念日を求める運動を始める。生徒の請願には約1万3,000人が署名し、2015年に国会に提出された
2016年政府が記念日を設けると発表する
2017年国王側とマオリの代表からなる諮問委員会ができる
2018年3月、最初の記念行事がベイ・オブ・アイランズで開かれる

記念日の10月28日は、1835年に独立宣言(He Whakaputanga)が署名された日です。記念行事は、年ごとに異なるイウィが主催しています。

年主催場所
2019年タラナキのイウィワイタラ(Waitara)のオーワエ・マラエ(Ōwae Marae)
2022年ワイカト・タイヌイ(Waikato Tainui)オーラーカウ(Ōrākau)
2023年ガーイ・テ・ランギ(Ngāi Te Rangi)、ガーティ・ランギヌイ(Ngāti Ranginui)、ガーティ・プーケンガ(Ngāti Pūkenga)プケヒナヒナ(Pukehinahina、ゲート・パー)

日本との違い・注意点

ここが日本とちがうよ!

  • 戦いと土地の没収は、タラナキ、ワイカト、ベイ・オブ・プレンティなど、主に北島で起きました。
  • この戦争の評価や呼び名には、さまざまな立場があります。くわしく知りたいときは、Te AraやNZHistoryなど公的な資料を読んでください。
  • 10月28日の記念行事の場所や内容は、年によって変わります。最新の情報は文化遺産省のページで確認してください。

関連項目

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