ゴールドラッシュ(Gold rushes)
ひとことで言うと…
NZでは1861年にオタゴ(Otago)で金が見つかり、ゴールドラッシュが始まりました。続いて西海岸(West Coast)、北島のテムズ(Thames)にも人が押し寄せ、人口と経済が大きく変わりました。1866年からは中国人鉱夫も来ましたが、のちに人頭税(poll tax)で入国を制限されました。NZの歴史を知りたい人向けです。
目次
詳細
1860年代のNZでは、各地で金が見つかり、多くの人が金を求めて集まりました。これをゴールドラッシュ(gold rush)と呼びます。NZ全体の歴史の流れは「NZの歴史」を読んでください。
主なゴールドラッシュ
| 時期 | 場所 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1852年 | コロマンデル(Coromandel) | チャールズ・リング(Charles Ring)が、コロマンデルの町の近くで金の粒を見つける |
| 1856年 | コリングウッド(Collingwood、ゴールデン・ベイ) | 金が見つかる |
| 1861年 | オタゴのガブリエルズ・ガリー(Gabriel’s Gully) | ガブリエル・リード(Gabriel Read)が金を見つけ、オタゴのゴールドラッシュが始まる |
| 1862年 | オタゴのダンスタン(Dunstan) | 40kg弱の金がダニーデンの役所に持ち込まれ、新たなラッシュが起こる |
| 1864〜1867年 | 西海岸 | 1864年にグリーンストーン・クリーク(Greenstone Creek)で金が見つかり、1865〜1867年に人が殺到する |
| 1867年 | 北島のテムズ | 8月に最初の大きな発見がある |
いずれもTe Ara(NZ政府の歴史・文化サイト)のページの内容です。
オタゴのゴールドラッシュ
NZHistory(文化遺産省のサイト)によると、ガブリエルズ・ガリーでの発見の影響は次のとおりです。
- 1861年12月までに、約1万4,000人がトゥアペカ(Tuapeka)とワイポリ(Waipori)の金鉱に来ました。
- オタゴの人口は、1861年から1864年の間に80%増えました。
- 1862年の厳しい冬には、約7,000人の鉱夫が金鉱を去りました。
- 1864年までに、ダニーデン(Dunedin)はNZ最大の都市になりました。
Te Araによると、オタゴのラッシュが最も盛んだった1863年には、金鉱の人口は約2万4,000人と推計されています。
西海岸とテムズのゴールドラッシュ
Te Araのページによると、次のとおりです。
| 場所 | 最盛期 | 最盛期の人口 |
|---|---|---|
| 西海岸 | 1867年 | 約2万9,000人 |
| テムズ | 1868年 | 1万8,000人 |
西海岸のホキティカ(Hokitika)の町は、この時代に生まれました。町の様子は「ホキティカ」を読んでください。
経済への影響
Te Araによると、2003年までにNZで採掘された金は998.71トンで、世界で採掘された金の約0.8%にあたります。地域別では、コロマンデル半島が312トン、西海岸が274トン、オタゴが265トンです。
1870年には、政府は金の採掘から10万4,760ポンドの収入を得ていました。そのうち5万7,092ポンドは輸出税でした。
NZHistoryの年表は、多くの若者が一攫千金を夢見て来たものの、金持ちになれたのはわずかだったと説明しています。
中国人鉱夫
Te Araのページによると、中国人鉱夫の歴史は次のとおりです。
- ヨーロッパ系の鉱夫がオタゴから西海岸の新しい金鉱へ移った後、1866年に最初の12人がオーストラリアのビクトリアから来ました。
- 1869年の終わりまでに、2,000人を超える中国人男性が来ました。
- 多くは広東省の珠江デルタ地域の出身で、67%が番禺(Panyu)県の出身でした。
- 第二次世界大戦前で最も多かった1881年には、男性4,995人に対して女性は9人でした。
- 中国人鉱夫は、一つの場所を丁寧に掘り直し、金をほとんど残さなかったとされています。
クイーンズタウン近くのアロータウンには、中国人鉱夫の集落跡が残っています。詳しくは「アロータウン」を読んでください。
中国人への人頭税
金鉱の仕事が減ると、中国人への偏見が強まりました。NZHistoryのページによると、経緯は次のとおりです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1881年 | 7月5日、中国人移民法(Chinese Immigrants Act)が成立。中国人1人につき10ポンドの人頭税を課し、船の積荷10トンにつき中国人の乗客1人までに制限 |
| 1896年 | 積荷200トンにつき1人までに厳しくし、人頭税を100ポンドに引き上げ |
| 1944年 | 人頭税が廃止される |
| 2002年 | NZ政府が、人頭税の不正義について中国系コミュニティに公式に謝罪 |
Te Araによると、人頭税について謝罪した国はNZが最初です。