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日本との関係 / 日本とNZの歴史

NZの日本人の歴史(Japanese in New Zealand)

概要

NZに日本人が訪れた最初の記録は1874年の曲芸・相撲の一行です。戦前は移民の制限で人数はごくわずかでしたが、戦後に増え、2018年の国勢調査では日本人(民族)は18,141人でした。外務省の在留邦人数は20,318人(2024年10月)です。

詳細

NZに住む日本人の歴史を、政府の百科事典Te Ara(テ・アラ)の「Japanese」の項目と、NZ政府の歴史サイトNZHistoryをもとにまとめます。

年表

年できごと
1874年日本人の来訪の最初の記録。曲芸師と力士の一行が南北両島を巡業した
1880年代日本の軍艦がNZに寄港した。艦長がマオリ王タウィアオ(Tāwhiao)に鎧を贈った
1890年ごろアサジロウ・ノダ(Asajiro Noda)がブラフ(Bluff)に着き、最初の日本人定住者とされる
1899年移民制限法(Immigration Restriction Act)により、日本人の大規模な定住の見込みがなくなった
1907年ダニーデンで船を降りたカズユキ・ツキガワ(Kazuyuki Tsukigawa)が帰化した
1915〜1919年この間にNZに来た日本人は55人だけだった
1920年日本人の男性住民は14人と記録された。1920年代から実業家の居住が認められた
1941年真珠湾攻撃の後、日本人住民5人がウェリントン港のソームズ島(Somes Island)に抑留された
1943年フェザーストン捕虜収容所で事件が起き、日本人捕虜48人とNZ人の警備兵1人が亡くなった(下記)
1946〜1956年日本に駐留したNZ兵の一部が日本人女性と結婚した。女性たちは当初、NZでの居住を認められなかった
1965年マッセー大学(Massey University)が、NZで初めて大学レベルの日本語教育を始めた

Te Araによると、第二次世界大戦前に帰化した日本人は10人だけでした。

フェザーストン捕虜収容所の事件

第二次世界大戦中、ウェリントンに近いフェザーストン(Featherston)の収容所には、約800人の日本人捕虜がいました。1943年2月25日、作業を拒んで座り込みをしていた捕虜に警備兵が発砲しました。日本人捕虜48人とNZ人の警備兵1人の計49人が亡くなりました(NZHistoryのページ)。

軍の調査委員会は警備兵の責任を問わず、捕虜と警備側の間に文化の違いがあったと認めました。日本政府はこの結論を受け入れませんでした。

1974年には元捕虜が初めて現地を訪れ、線香を手向けました。その後、NZと日本の共同事業で慰霊の場がつくられ、俳句を刻んだ銘板が置かれました。2001年には68本の桜が植えられ、2016年に「さくら庭園(Sakura Garden)」と名付けられました(NZHistoryの記念碑のページ)。

戦後の変化

Te Araによると、1986年以降、NZの移民の基準は職業上の技能を重視するものに変わりました。その後、日本人の住民は増えていきます。日本とNZのワーキングホリデー制度や外交関係については、日本とNZの関係を読んでください。

観光では、NZを訪れた日本人は1987年に66,404人で、2002年に173,567人で最も多くなりました。教育では、1987年にマッセー大学に日本研究センターができました。1998〜1999年には語学学校の生徒の54%が日本人で、2019年には英語学校で学ぶ私費の日本人留学生が28,473人いました。

人数の移り変わり

Te Araに載っている、NZに住む日本人(民族)の人数です。

年人数
1996年7,461人
2006年(国勢調査)11,907人
2013年(国勢調査)14,118人
2018年(国勢調査)18,141人(うち日本生まれ13,107人)

2018年には、日本人の46.7%がオークランド、17.4%がカンタベリー、9%がウェリントンに住んでいました。

外務省の海外在留邦人数調査統計では、NZの在留邦人数は20,318人です(2024年10月。外務省のニュージーランド基礎データ)。

コミュニティ

Te Araは、日本人のコミュニティが仕事の技能、投資、文化活動(「ジャパン・デー」など)でNZに貢献していると紹介しています。オークランドには実業家の会、キリスト教会、女声合唱団、補習校がありました。今の日本人会や補習校については、日本人会・日本人コミュニティと日本語補習校を読んでください。

日本との違い・注意点

  • NZに住む日本人の数には、NZの国勢調査の「日本人(民族)」と、外務省の「在留邦人数」の2種類があります。数え方が違うため、数字は一致しません。最新の国勢調査の数字はNZの人口と民族構成で説明しています。
  • フェザーストンの事件は、NZと日本の両方で記憶されている戦時中のできごとです。現地には慰霊の場(さくら庭園)があります。

関連項目

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